一般社団法人白神コミュニケーションズ 代表理事 後藤千春さん
秋田・青森両県にまたがる世界自然遺産・白神山地と周辺の環境保全と観光振興の両立などに取り組む一般社団法人「白神コミュニケーションズ」(能代市)。12年前に秋田県に移住し、白神山地をベースに環境教育にも力を入れる代表理事の後藤さんに話を聞きました。
どのような活動をしているのか教えてください
白神山地と周辺の環境保全や観光振興などを目的に、主に「伝える人を育てる」活動に取り組んでいます。山の上から見渡す限り人工物が一つも目に入らない、植林された杉の木1本さえないブナ原生林の残る世界自然遺産・白神山地は、県外の人からは憧れのような目で見られています。世界自然遺産に登録されて28年になりますが、青森県側は観光的な開発や整備が進められてきました。一方、秋田県側は、あまり観光地化されなかった分、白神山地らしさが残っているのです。私たちは「これこそが白神山地の姿なんだよ」ということをアピールできると考えています。
当法人以外の活動としては、秋田県側の世界遺産核心地域の巡視活動もしています。また、公益社団法人日本山岳ガイド協会(東京都新宿区)の試験研修委員、広報委員なども務め、全国の登山ガイドや自然ガイドの育成にも取り組んでいます。そのため、年間100日ぐらいは山に入ります。
子ども向けの自然環境教育にも力を入れていますね
秋田県に移住前は、子ども向け環境教育や体験学習などに取り組む団体に勤めていました。このバックグランドを生かして、主に地元の子どもたち向けに取り組んでいます。自然の中に入る体験を重視しながら、白神山地の豊かな自然を伝えています。本来は山奥にあるはずのないオオバコなどの植物を除去する活動「オオバコバスターズ」には、小学生から高校生まで参加しています。この活動は、社団法人を立ち上げる前に始めましたので、もう10年以上続けています。今年からは、原体験として自然の楽しさや新たな発見ができるよう保育園との協働も行っています。特に年齢の低い子どもは、新しい発見があったときなどには本当に素直に喜んでくれますね。子どもはいろいろなことに興味を示します。自然の中だけではなく、いろいろなところに連れて行って、いろいろなことさせることは、子どもの可能性を広げることにつながります。実体験を通じて、子どもの幅、将来の選択肢を広げてあげたいと思っています。高校生ぐらいになってくると、当初は興味を示さないことも多いのですが、具体的な活動を通じて、だんだん表情が変わってきたり、積極的になってきたりする変化が見られることもありますね。
環境教育に取り組んできて、人の変化は感じますか?
私たちの活動に理解を示してくれる人が増えている実感はあります。私たちの活動をメディアなどで知ってくれた皆さんから声をかけられることも増えました。これまで取り組んできた活動の一つの成果なのかなとうれしく思っています。ただ、人の意識は10年前とあまり変わっていないように感じています。例えば、成長した子どもが、自ら積極的に行動しているのかというと、まだ手ごたえは感じていません。
子ども向けの環境教育活動事業「白神体験塾」を秋田県から受託し、何年か続けていますが、もうちょっと太く、幅も広げていければと考えています。例えば、日本山岳ガイド協会のガイドなど私の知り合いにもスタッフとして関わってもらっていますが、この3年ぐらいは、秋田県立大学や国際教養大学に通う環境教育に関心のある学生にも携わってもらうようになりました。大学生が関わることで、子どもたちにとっては、より親しみやすい活動になっているように思います。
次世代に向けた環境教育は、学校の授業でも取り扱うなど、もっと機会を増やしていく必要もありそうです。秋田県には「地域の環境活動支援事業 環境の達人」などの制度もありますので外部専門家を積極的に活用してもらいたいですね。
ガイドや巡視員の活動はどのようなものでしょう?
ガイドとして、白神山地の「きれいだ」「すごい」と思っていることなどを、わかりやすく理由を説明しながら登山者に伝えています。感動を共有できる交流は1番うれしい瞬間です。また、入山する際には、登山口に設けた玄関マットのようなもので靴底の汚れをよく落とす必要があるのですが、これは、里の植物の種を山の中に持ち込まないようにするためです。マットは東北森林管理局藤里森林生態系保全センターが設置しているものです。ガイドするときには、白神山地を紹介するためのいいツールにもなっているんですよ。「環境保全を強く意識する山なんだよ」ということを伝える役割も果たしています。
白神山地には、学術調査や報道など、特別な許可がない限り入山が規制されている世界自然遺産核心地域があります。釣りなどでこのエリアに入ってしまう人がいるため、巡視活動を行っています。「パトロール中」というステッカーを貼った巡視活動中のクルマや、登山口にパトロール中を示すのぼりを見かけるかと思います。これには、山に入る人に対して、禁じられた行為を抑止する役割もあります。例えば、木の枝を折らないことやゴミを捨てないことなどですね。
秋田の環境について感じていることを教えてください
ガイドなどの仕事で北アルプスや北海道の山へ行くこともありますが、それぞれに自然の豊かさや独自性があります。中でも、秋田県の自然度の高さ、豊かさは、動物・植物・景観まで、本当に全国に自慢できるものだと思っています。地元の皆さんにも、もっと自信を持って紹介していただきたいです。
現在、美郷町のネイチャーガイドの育成などもお手伝いさせてもらっています。私たちが白神山地で取り組んできたことや理念などが、ほかの地域でも広がっていけばと思います。
そして、自然環境に関連して、資源エネルギー問題や地球環境問題にも、少しでも関心を寄せてもらいたいです。今この地域でも進められている風力発電も含めたエネルギーの問題は、自然環境と地球環境問題、経済発展を考えると「こちらを立てれば、あちらが立たない」というジレンマ、加えて限りある資源の三つ巴です。これをトリレンマと呼んでいますが、簡単に答えが出ない難しい問題です。だからこそ、一人一人が自分事として考える必要があると思います。例えば、クルマの中でエンジンをかけっぱなしで休憩しないようにするなどの意識を変えるだけで、次の行動につながっていくものと思います。海岸のゴミ拾い活動に取り組む地元企業もあります。参加者は、ゴミを拾うことを通じて、ゴミの種類や発生源のことなどに想像を広げる意識を持つことは、その先の行動につながるものと思います。
自然環境とSDGsとの関係について考えを聞かせてください
かつて、山で暮らす人々は、山に対して強い感謝と畏敬の念を持っていましたよね。そこに生きる熊などの生き物に対しても「山の神様からの恵み、授かりもの」として、決して無駄にすることはなく、フードロスなどは考えられないことだったはずです。ですから、根絶やしになるようなことは絶対しないんですね。うまくコントロールしながら自然と付き合ってきました。一方、今の都市型の生活は、自然と折り合いをつけることへの意識が薄れたものになっているように思います。SDGsの考え方は、自然と折り合いをつけながら、決して自然に逆らわずに暮らしていくということなのではないでしょうか。
多くの人にとって、SDGsの示すゴールは見えづらいのではと感じています。そうだとしたら、ゴールに到達するために、その一歩手前や一段下には何があるのだろうかとか、それも遠く感じるようだったら、目先のことには何があるのだろうかとか、ゴールへ向けた活動の成果や評価を見えやすい形に変えて伝えることが必要なのではと考えています。特に子どもたちにやりがいや行動の意義を伝えるためには、小さくても成果を見える化することで活動しやすくなりますし、活動しようという意識も高まるはずです。
県内外の皆さんへのメッセージをお願いします
白神山地最後のマタギの頭領として知られる、青森・赤石マタギの吉川隆さんが、テレビ番組で「俺にとって白神山地は空気みたいなもんだ」という旨をお話しされていました。あるのが当たり前、なければ生きていけない。地元の皆さんにとっては当たり前の風景かもしれませんが、よそ者から見ると、秋田の自然は本当に素晴らしいんですよ。私は秋田県に移住して12年ほど白神山麓の街で暮らしていますが、白神山地の環境は、未来永劫その環境を保全していくことを世界に約束した世界自然遺産です。これからの世代を担っていく子どもたちに「君たちはこんな素晴らしいところで生まれ、育ってきたんだよ」と伝える仕事に携わらせてもらっているのは、本当に幸せなことです。白神山地は「癒しの森」なんです。時間に追われ、都会の暮らしに疲れた人たちにこそ、もっと足を運んでいただきたいですね。